テーブルシリーズ
過去の展覧会
- KAITEKIのかたち アートと技術の化学反応 スパイラルガーデン(東京/2011)
- KAITEKIのかたち アートと技術の化学反応 KAITEKI CAFE (東京/2012)
うちの庭をのぞく
東日本大震災直後から制作された『うちの庭』には、人とに地球を繋きたいと願う想いが詰まっている。
木村さんは毎日、ハイビジョンで家の周りの撮影会続けた。
誰もそれが撮影だとは気付かないような被写体に向けて、毎日少しずつ色々な場所を長時間にわたって撮影したのだ。
それは、普段私達の生活では、あまり気にとめないようなものばかり。風に揺れる草花、陽の光が刻々と変化する中でキラキラと輝くこもれび。縁の下にできた蜂の巣や、何かを一生懸命運んでいるアリ達の様子など・・・
木村さんは震災のときにテレビで見た津波が押し寄せる様子を見て、自然の力は恐ろしく偉大だ。人もその前では無力。虫や動物たちと変わらない生命の一つでしかないと感じたのだそう。
普段は足を止めて見ることがほとんどない庭の草花の間をじっと見ていると、小さな虫が歩いていたり、トカゲが顔を覗かせたりする。
私達が気付かないだけで、小さな命も毎日はぐくまれているのが感じられる。
それは人が毎日生きているのとなんら変わりない、同じ命の営みだ。
また、いつもなら生えてくると邪魔者扱いされてしまう、庭の雑草たちも主役になっている。撮影に備えて草をとらないでいた庭には、ニョキニョキと雑草たちが元気に育つ。
よく見るけど名前も知らないその雑草たちがどんな草花なのか調べては、一つ一つの形を丁寧に観察するのだ。
この作品が映像をただスクリーンに流すだけのものであれば、ただの映像作品になってしまうのだが、木村さんはこれを特殊な方法で鑑賞できるようにした。
今回の展覧会は、三菱ケミカルズが主催の展覧会。
三菱ケミカルズが持つ技術を利用した作品を制作するのが条件になっている。
三菱ケミカルズを訪問して作品にできるような素材を探し、今回は偏光フィルムという特殊なフィルムに着目。
偏光フィルムによって起きる光の現象を利用して、映像を見せることにした。
そして、今回の展覧会のタイトルにもなっている『KAITEKIのかたち』からもわかるように、快適な生活シーンが感じられる作品にすることも必要。
生活の中で快適によりワクワクするようなシーンを作り上げられるような作品にするために、木村さんは驚くようなアイデアを形にした。
2種類の『うちの庭』
一つは白く発光したテーブルの上にシャーレ型のコースターが置かれている作品。
コースターの中には、庭に生えている草をイメージしてカットされた様々なビニール素材で作られた植物達が挟まっている。
コースターだけ見ると、透明なビニールが挟まっているだけのように見えるのだが、これを発光したテーブルに置くと、美しい色が現われるのだ。
コースターを回転させると、その美しい色は刻々と変化する。
実験で使うシャーレに植物を挟み込んだようなイメージは、実験・観察・発見を繰り返して作品を作る木村さんだからこそ思い浮かんだ形状!
実験室のようなイメージも感じられる不思議な光の作品に仕上がっている。
もう一つの『うちの庭』も、やはり同じように発光したテーブルの上にシャーレ型のコースターが置かれているだけの作品。
コースターが乗っていないときは白く発光しているだけなのだが、コースターを置くと映像が見える。
ぱっと見ただけでは写真のように見えるが、よく見てみると、画面の中の草花や昆虫達がわずかに動いているのがわかる。
コースターを持ってテーブルの上を移動させると、コースターの部分だけ映像が円く切り抜かれたように見える。
コースターの脇から顔をのぞかせたトカゲを追ってコースターを移動させたり、アリの行列がどこまで続いているのか、列を追うようにしてコースターを動かしたりして鑑賞するのだ。
まるで円いもので庭を覗き込んでいるような感じがする。
いつもの庭の、いつもと変わらない日常にありふれた風景の映像を、名もない草花や小さな昆虫達がクローズアップされて映し出されているだけなのに、なんとも面白くてコースターを片手にいつまでも鑑賞したくなる作品だ。
展覧会場はバーやカフェなどが併設されており、そこで購入したドリンクを木村さんの作品のコースターにおいて実際に使用できるテーブルとして展示された。
作品の上に水滴のついたグラスなどを持ち込むことは、普通の展覧会ではとても考えられないが、この展示ではそれが可能だった。
少々戸惑いながらも、多くの方がドリンクを片手にシャーレ型のコースタをクルクル回転させたり移動させたりして、長時間作品を楽しんでもらうことができた。
『うちの庭』の魅力
このテーブルの魅力の一つは、テーブルの周りに配された箱庭ではないだろうか?
ここに配された植物は、木村家の庭などで採集された植物ばかり。
展示期間が7月だったため、ふっくらとした緑濃なコケがなかなか手に入らず、木村さんは集落中を歩き回ってコケを集めた。
木村さんが住む南アルプスの麓はあまり土地が肥沃ではなく、木村家の庭も小石がゴロゴロしている。
できるだけ自宅に庭にイメージを近づけるために、庭で小石を拾って植えた植物の間に転がしてみたりした。
できるだけ、いつもと同じ庭をそのまま持ち込んだような・・・そんなさりげないイメージを大切にして活けこんだ箱庭だ。
都会ではなかなか見ることができないコケやシダ植物。
そんな植物に囲まれたテーブルに映し出される、豊かな命をはぐくむ地球の姿。
土すらも限られた場所にしかない都会ならなおさら、地球と私達の生活の接点を見る機会は少ない。
旅行などで田舎に出かけて自然の雄大さに触れて感動するのも良いかもしれないが、ほんの少し気持ちを向けて足元を見れば、土のない場所にでも小さな命が芽吹き、懸命に生きている姿を見ることができるはず。
その姿に目を向ければ、私達がその小さな命と同じように、地球にはぐくまれている命の一つであることに思いを馳せてみてはどうだろう。
気にとめなくては見えないほど小さいけれど、そこには大きな宇宙が広がっていることに気付くことができるはずだ。ただ私達が気付いていないだけで多くの命が日々の生活を送り、命をはぐくんでいる。
私達人間も、これら小さな命と同じ存在なのだと木村さんは考えていえる。
そのことを忘れてしまっているから、地球を人がコントロールしているような錯覚に陥り、愚かな間違いを繰り返してしまっているのではないだろうか。
地球に生かされている生命として、もう一度地球との関係をよく見直してもらいたいと木村さんがメッセージを送る。